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みんなのおもい

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伊東豊雄×柳澤 潤×クライン ダイサム アーキテクツ×大西麻貴伊東豊雄×柳澤 潤×クライン ダイサム アーキテクツ×大西麻貴

2016年1月28日 Tポイント・ジャパン オフィスにて

2016年1月28日
Tポイント・ジャパン オフィスにて

東日本大震災から5年を迎える今、おもうこと。東日本大震災から5年を迎える今、おもうこと。

震災から5年目という
節目を迎えるにあたり、
これまでTポイントと一緒に
東北で遊び場づくりに取り組んでくださった
建築家の皆さんのスペシャルな対談が実現。
東北の「これまで」と「これから」について、
さらには地域のコミュニティの
ありかたについて、
それぞれのおもいを語っていただきました。

2016年の3月11日で東日本大震災から5年経ちます。5年は早いようで長いような、すごく意味のある歳月だと思いますが、皆さんは5年経った今、どんな思いをお持ちでしょうか。

「“建築家としてできることを探そう”と押しかけていきました」

(伊東豊雄)

伊東豊雄(以下、伊東)みんなの家 ※』は現在、柳澤さんがつくってくれているもので15軒目です。Tポイント・ジャパンさんと一緒につくられたもの3軒を含み、さまざまな場所につくられました。
なぜこのプロジェクトを始めたかというと、震災直後、被災地に建築家はまったく声がかからない、必要とされていないということからです。土木に関わる人は、震災3日後にはもう現場に張り付いていたと言われますが、自治体にとって建築家とは疎ましい存在に思われているので、“それならば建築家としてできることを探そう”と押しかけていきました。

※「みんなの家」プロジェクト

東日本大震災を受けて自分たちにできることを模索しようと集まった建築家たちによって提案されたプロジェクト。第一号は2011年10月、仙台市の仮設住宅内に住民の憩いの場として建設された。その後、2015年7月までに被災各地に14軒完成。その役割も、コミュニティの回復、子どもたちの遊び場、農業や漁業の再興を目指す人々の拠点などに発展している。みんなの家の運営をサポートし、各地の連携を促すため、2014年にNPO法人「HOME-FOR-ALL」が設立された。http://home-for-all.org/

住民たちと一緒になって考えて、一緒につくるということ。

それで最初、まだ仮設住宅に移る前の避難所で、おじいさんやおばあさんたちに話を聞いたところ「仮設住宅に行きたいと思っていない」という声を聞いたのです。「避難所は雑魚寝だけれど、みんなと話ができるし一緒にご飯が食べられる」「仮設住宅に行ったらバラバラになっちゃうのがイヤ」と言うのです。それならば『みんなの家』みたいに、小さくても皆さんが集まることのできる場所づくりなら建築家にもできるし、市や県が進めている復興計画からは距離をおいてできる。家や町を失った人たちにとっては何より血の通った支援になるのではないかと思ったのです。
それで2011年の秋に、最初の『みんなの家』が宮城県仙台市宮城野区という仙台市の東海岸にできました。これには熊本県が共感してくれて、特に蒲島知事が強く応援してくださって実現したものです。当時、僕は岩手県釜石市にも行き始めていましたが、そこで『釜石市 みんなの唐丹児童館』を見た頃に、Tポイント・ジャパンさんからレターをいただいてお会いしました。その際に双方が共感しあって、最初の共同プロジェクトとなる東松島市の『こどものみんなの家』につながりました。

ここでの大原則は、住民たちと「一緒に考え、一緒につくる」ということで、15軒すべてにわたり貫かれています。それは僕自身にとっても大きな教訓で、その後の公共建築にまで随分影響を受けていると思っています。

「子どもたちが毎日“一体何ができるの?”と聞きに来て遊び回ってくれたことも嬉しかった」

(大西麻貴)

大西麻貴(以下、大西)私は2012年に、東松島市の600世帯から700世帯ぐらいの方がお住まいだった、お子さんをお持ちのご家族が多い仮設住宅に『こどものみんなの家』をつくりました。
実際に現場が始まってから半年間、仮設住宅の中に部屋をお借りしましたが、私とスタッフ、伊東事務所の若い女性の3人で、4畳半に3つ布団を並べて暮らしました。その時に、隣の部屋の方が新聞をペラっとめくる音が聞こえるぐらい音が筒抜けだということを体感したり、赤ちゃんがいる人は夜泣きに気を遣うだろうとか、子どもたちも騒いだり走り回ったりすることが仮設の中では難しいんだなということを実感しました。 当初は、大きな屋根が1つだけあるシンプルな計画だったのですが、最終的にできた形は小さな家が3つ集まった、まるで小さな町のような『こどものみんなの家』になりました。現場には子どもたちが毎日“一体何ができるの?”と聞きに来て遊び回ってくれたことも嬉しかったですね。

子どもたちがあだ名をつけたくなるような建築に。

当時、仮設住宅に住む期間は3年とか5年続くと言われていて、この仮設住宅で育った子どもたちが将来“私の家ってこんなだった”と思い返す時に一緒に思い出してくれるような素敵な『こどものみんなの家』をつくりましょうという話を住民の皆さんにさせていただきました。それでとんがり屋根があったり、ねぎ坊主みたいな屋根があったり、また雄勝スレートという石巻のスレートの会社にご協力いただき、津波で流された後に拾い集めた石を使ったことで、特徴あるシルエットと特徴ある素材から、より子どもたちの記憶に残るような建築を目指しました。伊東さんからは「子どもたちがあだ名を付けたくなるような建築になったらいい」とアドバイスもいただきました。

伊東中は小さな舞台になっているので演劇ができたり、コンサートができたりするような構造になっている。それを気仙沼の高橋工業さんがつくって運んできて、クリスマスに地元住民のおじさんたちがサンタクロースやトナカイになってプレゼントする演出で、子どもたちがすごく喜びました。

「とにかくハッピーな場所をつくりたかったんです」

(アストリッド・クライン)

アストリッド・クライン(以下、アストリッド)『相馬 こどものみんなの家』ができたのは2015年2月14日のバレンタインデーでした。やっぱりまだ寒かったので、みんなが中の暖かいところに集まってきたことを覚えています。
親御さんは、子どもが1~2歳までの小さな頃は、地面に近いと、ハイハイしながらいろいろ口に入れてしまうのではないかと心配しているんですね。でも丈夫な体づくりや筋肉を付けるために走り回ることも大切なので、安全に遊べる場所をつくりたいという気持ちでした。

木の温かみとか、丸い形で円になるとか、集まりやすいことを大切に。

敷地は150㎡ですが、公園の中に公園をつくろうと思い、丸い形で外の公園を中に取り込み、できるだけガラス窓があるオープンなものにしました。また木があるほうが公園らしいと、屋根を支える3つの柱を木の形でつくりました。登ったりかくれんぼしたり、ハンモックもあったらいいなと思いました。

麦わら帽子のような屋根は伊東さんのアイデアで、暑い時などに涼む東屋みたいな屋根があったらいいという感じで、その結果ここが一番のポイントになりました。また、みんなに元気を与えたり、ハッピーなイベントのような雰囲気づくりのために、外壁は紅白のストライプで木を染色しました。とにかくハッピーな場所をつくりたかったんです。みんないろいろとつらい中、この木の温かみとか、丸い形で円になるとか、そこに集まりやすいことを大切にしました。みんなに“住みたいぐらい”と言われたのが嬉しかったですね。
できあがった時には、被災地だけでなく“どこにでもあったほうがいい”と思いました。本当はどんな公園にあってもいいし、みんなが気楽に自由に使っていい場所なんだよと。だから、新しいチャンスとか、新しいオポチュニティ、可能性が生まれてよかったなと思いました。

「手でつくって、プライドでやりきりました」

(マーク・ダイサム)

マーク・ダイサム(以下、マーク)一番面白いのはハンドメードルーフですね、とてもラブリー。これは伊東さんの『みんなの森 ぎふメディアコスモス』で考えた屋根と一緒にディベロップしたもので、ディテールも薄いものを使い、施工は6週間ぐらいかかったんですね。たった3人だけでつくることができるすばらしい構造でした。

アストリッド木の板を編んでいるように見えているんですけれども、9つのレイヤーが重なってできているんです。それを本当に1個1個、麦わら帽子のゆるいカーブに沿ってつくることができたのは、感度の高い、山形のシェルターという建設会社の協力があったからこそです。彼らは心と技術を込めて、このみんなの遊び場をつくってくれました。こういうプロジェクトをやると、毎回いろいろなエピソードがあって人がつながってくるとか、感動的な思い出ができるのがいいですね。建築で一番いいのは、そういうところかな。

マーク今では1日くらいで建つような仮設住宅もある中、この建物は反対ですね。時間はかかりましたが、手でつくって、プライドでやりきりました。

すごく難しいことをやりながら、一方でみんなが楽しんでくれることを。

伊東マークさんとアストリッドさんはロンドンの大学を出て日本に旅行に来て、日本が気に入って住み始めたのです。いつも感心するのは、彼らは常に毎日を楽しくしたいと思っていることです。建築でも、難しい問題に直面しながらも、一方でみんなが楽しんでくれることを考えている。僕らは“もっと見習わなくてはいけない”ということばかりなのです。今回の「麦わら帽子」も、屋根は技術的に難しい工事なのですが、“建築がすごいでしょう”ではなくて、ここにある柱で木登りできるとか、柱に鳥がついているといった遊びの精神を大事にする。

アストリッドハトとか、ウサギとか、リスも。だから、子どもたちもちょっとしたゲームができちゃうんですね。「動物を探せ」とか、「何個見つけられるか」みたいな。

伊東我々建築家ってこういう遊びの精神があまりないのです。だから『みんなの家』は、ここに来る人たちが本当に“自分の家だ”と思ってくれることがすごく大事で、我々がもう一度“建築ってなんだろう”と考える時の一番基本的な問題にも関わってきます。

「一個人としてどうやって震災復興に関われるのかと考えていました」

(柳澤 潤)

柳澤潤(以下、柳澤)もともと建築家としてというより一個人としてどうやって震災復興に関われるのかと考えていました。2014年の春に伊東さんから電話があって「みんなの家をやりませんか」と。それがスタートでした。
7月に初めて南相馬市に敷地を見に行きました。場所は市内の鹿島という地区の、鹿島小学校と仮設の中学校そして幼稚園もあるすぐ隣でした。それにもうひとつ、インドアの砂場をつくるということも決まっていました。
まず地域の方やPTAの皆さんとお話しましたが、その際に伊東さんが「砂場をつくります」と言っただけで、お母さんたちが泣き出したんです。理由は、子どもがいまだに砂を握って遊べない、思い切って砂の上を駆け回ることができない、それが不憫だし親にとってもストレスなっていているから、たとえインドアの砂場でも、子どもたちが砂に触れられる場所ができることが嬉しいと。

親子で来るとか、おじいちゃんおばあちゃんと孫が一緒に来るとか、そういうイメージも込めて。

建物は、サーカス小屋みたいなシルエットが町にポンと浮かぶように、わかりやすいシンボリックな屋根がいいと考えました。そして親子で来るとか、おじいちゃんおばあちゃんと孫が一緒に来るとか、そういうイメージも込めて親子屋根にしました。

インドアの砂場は、釧路の『釧路市こども遊学館』に問い合わせたりして、実際に砂はどのぐらい必要かとか、水を使うと発生するバクテリアのことまで調べました。私の子どもは今4歳なんですけれど、0歳から2歳と、2歳から5歳の子どもって動きが違うんですよ。だから、同じ砂場の中で大きい子たちは大きいほうへ、小さい子たちは小さいプールみたいなところで遊んでもらいたいと思ってひょうたん型をイメージし、それを太鼓橋でつなぐことにしました。
子どもたちにゴツゴツした肌触りのようなものを感じてもらいたいし、上を向いてもらいたいから、すっと上に抜けるような木組みにしました。これはシェルターさんの技術というか、技術より「やります!」という気合いですね。1日に1リングずつ組み上げて、その上が15ぐらいのリングで構成されていくんですが、現場ではすごく楽しそうに仕事してくださいました。

アストリッド面白い人たちですよね。繰り返し簡単なものをつくるのはつまらないから挑戦するほうを選ぶという。

マーク私たちの時も一番簡単なレイアウトだったんですが、職人さんが「もうちょっと複雑なやり方のほうがいい」と変更してくれました。彼らの技術にプライドを持てる複雑なやり方をやりたかったんですね。

柳澤建物の中には一本柱が2本あるんですけど、これは郡山の山奥に入って僕が自分で選んだ30メートルぐらい真っすぐに伸びた一本杉です。自分たちの地元のものですから、きっと愛着もわくと思うんですよね。
南相馬の人たちがとても協力的で、毎日現場に写真を撮りに来るんですよ。僕より現場を見ている。そういう情熱を持った方たちに守られて2016年5月にオープンする予定ですので、ぜひ皆さんも来ていただければと思います。

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プロフィール

伊東豊雄 いとう・とよお

建築家

1941年生まれ。主なプロジェクトに「せんだいメディアテーク」、「多摩美術大学図書館」(八王子)、「台湾大学社会科学部棟」(台湾)、「みんなの森 ぎふメディアコスモス」など。現在、「台中メトロポリタンオペラハウス」(台湾)等が進行中。日本建築学会賞作品賞、ヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞、王立英国建築家協会(RIBA)ロイヤルゴールドメダル、プリツカー建築賞など受賞。

柳澤 潤 やなぎさわ・じゅん

建築家

コンテンポラリーズについて
コンテンポラリーズは“同時代に生きる人々”という意味であり柳澤潤が主宰する設計事務所です。2000年に設立され現在は横浜・馬車道で住宅の他公共建築を中心に病院や集合住宅など多岐に渡って活動を広げています。主な作品は“みちの家”、“塩尻市市民交流センター えんぱーく”“京浜急行高架下新スタジオ”等があります。日本建築学会建築作品選奨他、神奈川建築コンクール優秀賞、JIA(日本建築家協会)新人賞などを受賞。設計活動の他にも横浜市との協働で「デザインピッチ」と呼ばれるプレゼンテーションイベントのオーガナイザーとして毎年地元横浜を積極的に盛り上げる活動に参加しています。

Klein Dytham architecture クライン ダイサム アーキテクツ

アストリッド・クライン(上)とマーク・ダイサム(下)により1991年に東京に設立。建築、インテリア、公共施設といった複数の分野のデザインを手掛けるマルチリンガルオフィス。主な作品に「DAIKANYAMA T-SITE/代官山蔦屋書店」、「SHISEIDO THE GINZA」、「Google Tokyo」などがある。また「American Retail Environment Awards」、「D&AD Awards」、「World Architecture Festival Awards」等を受賞。 現在では世界680以上の都市で開催されている世界規模のプレゼンテーションイベント、PechaKucha Nightの創始者でもあり、東日本大震災直後に開催したチャリティイベントでは100を超える世界各都市で被災地や日本を応援するプレゼンテーションが行われ、多くの寄付を集めることとなった。

大西麻貴 おおにし・まき

建築家

1983年愛知県生まれ。2006年京都大学建築学科卒業。2008年東京大学大学院修士課程修了。 主な作品に、「二重螺旋の家」、「さとうみステーション」、「小屋と塔の家」など。 現在「GoodJob! センター」「福智町立図書館・歴史資料館」等が進行中。新建築賞、SDレビュー2007鹿島賞など受賞。

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