2019.10.01 UP

知識0から農家へ転職
五島の野菜を全国にお届け

野菜産直「いきいき五島」
八代侑紀さん・綾子さん
大阪での共働き生活から
Iターン移住で農家に

2016年に大阪から2人のお子さんとともに移住した八代侑紀・綾子夫妻。綾子さんのお父さんが五島の出身で、綾子さんが20歳のときに10歳年下の妹ともに五島にUターン。家業の畑をついで農業と直売所の経営をしていました。大阪に残った綾子さんは侑紀さんと結婚し、五島へは帰省で足を運んではいたものの、農業を継ぐ気はまったくなかったそう。ところがお父さんの病気をきっかけに、Iターン移住を決めたといいます。

農業はもちろん、五島の右も左もわからないまま始まった島生活。長靴を履いたことすらなかった2人ですが、周囲の助けを得ながらメロンやブロッコリー、レタスなどを育てていました。
侑紀さんによると「僕がこちらに来て初めてメロンを育てたとき、有機とはいえませんが“ぼかし”(油かすや米ぬかなど有機肥料にもみがらなどを混ぜて発酵させる肥料)に変えてやってみたところ、糖度が17度以上あるメロンができて大成功でした。五島の畑はもともと海で守られている地形からなのか害虫被害が非常に少なく、作物がつくりやすいことも幸いしたようで、こういった土地は他にはあまり例がないそうです」

移住生活3年目
紆余曲折ありながら嬉しい変化も

まる3年目がたった2019年には、畑を約60ヘクタール(東京ドーム約13個分!)に広げ、従業員含めた6-7人で切り盛りしているといいます。他の農家さんとも契約して無農薬、減農薬の野菜を直送する「五島の野菜便」は、野菜の品質にこだわりをもつ都市圏の方を中心に、島外での認知も増えてきました。とはいえ、決して順風満帆ではない移住生活。描いていたスローライフとはかけ離れた生活を送っているといいます。
「この3年間は無我夢中でした。2人で働いて休みはほぼなし。大阪では忙しくても週に一度は休みがありましたが、現在はそれさえとれていません。年末年始も31日まで働き、2日から通常通りに畑に向かいます。娘からは、『私が家に帰る頃にはお父さんお母さんがいる生活になるっていったくせに、全然家にいないじゃない』と言われてしまいました。今後は人を増やし、適度に休みがとれる生活にしていくのが課題ですね」

島での生活におけるいちばんの変化は、長男の様子なんだとか。大阪では、毎日のように学校から電話がかかってくるような“やんちゃ”で、移住にももちろん大反対。中学1年生という多感な時期だったこともあり、移住後最初の1年は友人とご飯を食べに行くこともできないだけでなく、ゲームセンターやコンビニもない離島生活になれず、ずっとスマホをいじっているような生活だったといいます。
「でも、1年が経った頃、中学校のお友達と川遊びに出かけたんです。それがとっても楽しかったようで『こんな楽しい川遊びがあったんだ』とポロっと口にしたら、お友達が『こんなんで楽しいんだったら、毎年一緒に来なあかんなぁ』と言ってくれたそうで、その言葉にすごく感動していました。根は優しい子だと思うんですが、こちらのお友達のピュアなところにも影響を受けて、今はまっすぐ育っています。私たちも子どもたちも、本当に地元の人に助けられています。島に来てよかったなと思うのは、そこですね」

深まった家族の絆と
自分自身の経験をいかして

さらに、夫婦の会話が増えたことも大きな変化だそう。大阪では、共働きで生活時間がずれていたため平日は顔を合わせることも少なかったといいますが、今では“否が応でも”顔を見て話をする機会が増えたと笑います。
「けんかも増えましたが、関係性は深まりました。『気持ち悪いなぁ』なんて言いながら、農作業用の帽子や手袋、スニーカーなどペアルックが増えたんですよ(笑)。忙しいなかでも楽しみを見つけてモチベーションを上げているところもありますね。大阪では、お互いにどのタイミングで新しい服を買ったかとかまったく知らなかったので、そんなところも大きな変化でしょうか」

今後は、関西出身という経験をいかし、野菜をきっかけになんらかの形で関西と五島のつながりを作っていきたいと語ります。実は五島は昔から大阪と深くかかわりのある土地で、大阪の地名が由来の苗字や地名があるほど。八代さん夫婦が五島の地に導かれたのも、何かの縁かもしれません。

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